谷中放談

vol.1 アートのお仕事

白石 正美 撮影:名和真紀子

白石 正美(しらいし まさみ)
スカイ・ザ・バスハウス 代表

1948年 東京生まれ。1989年に現代美術の企画、売買をおこなう白石コンテンポラリーアートを設立し、1993年に銭湯を改装したギャラリースペースSCAI THE BATHHOUSE(スカイ・ザ・バスハウス)を開設。

若手の日本人作家を積極的に取り上げるとともに、アニッシュ・カプーアなど話題の展覧会で注目を集める。


聞き手: 熊井 千代子(クマイ商店+K’s Green Gallery)
2009年10月17日(土)17:30 〜 19:30 カヤバ珈琲にて開催

なぜアーティストにならなかったか?

将来の仕事だとか進路を決めるときに、いろいろ自分で悩むわけですが、美術の仕事は才能が大事だと思っています。努力して、俺はこれだけ頑張ったと言ってみても、下手な絵はいくら描いてもしょうがないんです。

今でも学生や若い人にも言っているのですが、絵はどんなに一所懸命描いたんだといっても認めてもらえないんです。一所懸命になったって、できあがったものがつまらなければやった価値がないということです。

だけど他の仕事っていうのは、一所懸命やれば、やっただけのその意味と実績があるのかなっていうことを若いなりに考えて、絵描きをやめて他のことで美術に関わることにしました。


学生時代と就職への決め手

慶応の美術史の学科に入ったんです。でもいやいやだから学校にほとんど行ってないです。女子が何十人で男子が7〜8人です。8人いてもそのまま美術の仕事に行くって人はほとんどいなかったですね。そういう中で、新聞広告の人材募集の三行広告見たらフジテレビギャラリーの募集があったので応募しました。当時は結婚したい人がいたんですが、彼女に今のままじゃ結婚もできないでしょう、早く仕事してくださいと言われて、で、まあしぶしぶ、フジテレビギャラリーに応募して…

受かったんですよ。一人だけ。44人受けて、一人だけ受かった、幸いに。何が良かったのかなと考えれば学生時代にやった40個の様々なアルバイトが効きましたね。それと、相手にあわせてリアクションするのが上手かったんですかね。


フジテレビギャラリーを辞めて東高現代美術館へ

当時、私もフジテレビでいろいろな展覧会の企画を立てるんですが、なかなか意見が通らないわけです。そういう仕事をするまでの内輪の調整に9割くらい労力を使うんです。私一人じゃないから、チームで仕事をしているので、いろいろな気配りとか目配せするのも、非常に大変。内部調整の仕事が9割だったら、表でその9割分仕事をすればもうちょっとおもしろい仕事できるのかなあなんて40歳前の2年ぐらいは悩んでいたんじゃないかな。

もう一つ理由があって。タバコを30のときにやめたんですよ。だから40のときにもなんかやめようかなと思って。それで会社を辞めるかみたいな話になって…

40歳のときに自分でなにかやりたいと思っていたんです。それでたまたま原宿を歩いていたときに、表参道の角に、東高現代美術館があと一週間でオープンって書いてあるんですよ。以前から少し知っていましたので、すぐにそのオーナーのところに飛び込んでいきました。もう企画はだいぶ進んでいたんですが、オーナーが呼んでくれて会議に私も出させてもらい、自分の考えを言うことができました。そして本当にびっくりしましたが運よく私の意見が採用されました。当時フジテレビは辞めて、自分で会社を立ち上げていましたから、もう捨て身でした。

若者のエネルギーみたいのもあったんで、一所懸命やりましたね。でも場所の持つ力っていうのは凄い。期間限定のところだったんですが、1年のつもりが3年間続き、18本展覧会をやりました。年だいたい6本ずつです。時間がないからどんどん考えて即実行でした…


谷中のスカイ・ザ・バスハウスへ

小山登美夫君が東高のときに途中でスタッフになって、彼は芸大でしたから谷中学校の椎原晶子さんの友人だったんです。それで谷中の古い風呂屋が壊されそうで、もったいないから残そうと思ってるんだけどという話が彼を通じて舞い込んできたんですよ。

ちょうどそのとき東高現代美術館が終わっていて、しばらくの間マンションの一室みたいなところで展覧会をやってたんです。そんなこともあって、みんなでこの場所を見てみたら、いいじゃないかと。青山が国際都市東京の外の顔だとすると、谷中はむしろ東京の原点、大江戸のへそみたいなところ。周りを見たら上野の美術館がすぐ近くにあるし東京芸大もあるし…あれから16年もたちました。古い建物を残して、そこに新しいものを入れる、それができたと思います。


現代美術を売るために

なんで現代美術が売れないかっていうので、一番思ったのはみんなが作品を知らないからなんですね。みんなわかってないから。わかってないというか、見ないんだから。だからみんなに現代美術を見せる努力もしないといけない。

昔、美術学生の私ですら画廊なんて行かない。多分その後の時代の人達もなかなか画廊に行かないだろうと思います。作品の売り方は画廊で売ることがひとつ。それから美術館へ売る、言葉は悪いけどブローカー、また海外とのネットワークを使ってプライベートディーラー的な仕事もします。日本のコレクターの作品を海外に売ったり、海外の作品を持ってきたり…いつも画廊にいて絵の話をしているだけでは飯が食えません。画廊の外で仕事をしています。

1992年に私はアートフェアを作りました。今でも続いているんですよ。あとはネットワークですかね。いいネットワークをきちっと作っておいて、あいつと関わったらええらい目に会っちゃったとかないように。外に向けてネットワークがあったんで、それを広げていくこともやっています。それでアートフェアでも海外に出て行くようにしたんですね。日本の現代美術っていうのはやっぱりマーケットが小さいから、日本のアートフェアでいくら努力したってなかなか評価されない…

そこでみんな海外に出ていったのがだいたい90年代半ばぐらいからですね。私自身が出るようになったのは2000年ちょっと過ぎてからですね。


美術の仕事で大切なこと

美術の仕事をやるときに大事なことは二つあって、一つはアートそのものがおもしろいか、おもしろくないかということと、もう一つはマネージメントそのものです。その二つをどうやって磨いていくかということです。その基本になるのは運とかネットワークといったことを含め、ちょっと抽象的になっちゃいますがその人の想いですよね。これをやりたいなと思ったときに周りのことを気にしないで、自分で思って自分で始めてみることです。人から言われてやることではないですし、美術の仕事や画廊に勤めていても、自らの発想を大事にすることです。アートの仕事というのは基本がそういうところから始まっていると思います。

画廊に関しても私は私のスタイルでやっているし、他の画廊もそれぞれのスタイルがありますよね。そういういろいろなバリエーションがあっていい。基本的にはおもしろいことをやってみようという想いですね。その先にあるのが人を動かせる力だったり、お金を動かす力だったりするんですよ。だからアートマネージメントという分野はそういうことが大事なんだと思います。


最近思うこと

おもしろいと思う作品には、いくつか心にひっかかることがあります。

売れるかなと思うこともあるし、たくさんの想いがミックスされている状況でやっています。だいたい今自分がいる基盤というのがそんな完璧なものでもないし、いくら自分が純粋におもしろいからこれをやるんだといっても、まっすぐ進めるわけではないんですよね。厳しい現実がありますよ。

でも最近美術をみることが楽しくなりました。歳も関係しているんだと思いますが。商売抜きで作品を見る目が多少でてきたかなという気がしますね。

( 抜粋・編集 熊井 千代子)

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聞き手のひと言

左:白石 正美 右:熊井 千代子
左:白石 正美 右:熊井 千代子

スカイ・ザ・バスハウスが立ち上がったときから隣の住人として、ずっと興味を持ってお付き合いをしてきましたが、今回一歩踏み込んでアートのお仕事のお話を伺う機会を得られました。

白石さんは、現代アートの企画や作品を扱って生計を立てていらっしゃいます。そのマーケットは日本や世界のどこに存在するのか、またどうしてこの世界に入られたのかなど、一般的には馴染みのない分野なので、とても興味深くお聞きすることができました。

現在の状況にいたるまでには、ご自分の人生の節目を意識してそのとき訪れた一瞬のチャンスをつかみ、そこに全力投球をして次のステージに上がっていったのだとわかりました。運までも引き寄せるエネルギーがあったように思います。

作品の価値を自分の経験や考えから判断し、企画提案していくお仕事は、多くの困難があるでしょうが、人間性が磨かれ、やりがいのある一生の仕事だと認識しました。白石さんの根底にある人とのつながりを大切にするお考えは、谷中に生きていく仲間としてとてもうれしいです。