谷中放談

vol.1 アートのお仕事

荒谷智子・浦野むつみ

荒谷智子(あらたに ともこ)
浦野むつみ(うらの むつみ)

アラタニウラノ代表

荒谷智子 アートリンクの第1回展「眠れる森の美術」展の立ち上げに参画し、スカイ・ザ・バスハウスのギャラリーと煙突にて赤瀬川原平の展示をおこなう。

浦野むつみ スカイ・ザ・バスハウスに約10年間勤務。

その間に加藤泉展などを企画、アートリンクでは、音楽、映像、カフェを諏方神社境内に持ち込んだイベント「こもれび*これもび」等を企画。

2007年7月共同で銀座からほど近い新富町にARATANIURANO(アラタニウラノ)をオープン。


聞き手: 坂元 暁美(上野の森美術館学芸員)、津布久 静緒(〈art-Link 上野−谷中〉事務局)
2009年10月16日(金)19:00 〜 21:00 アートリンク谷中ベース(クマイ商店)にて開催

〈art-Link 上野−谷中〉をふり返るとき、荒谷智子さんと浦野むつみさんはともに欠かすことのできない存在です。そのお二人が2007年に共同で現代美術のギャラリー、アラタニウラノを開いたことは、アートリンクに関わってきた私たちにとってもひじょうに感動的な出来事でした。

この日のトークでは、荒谷さん浦野さんがそれぞれ美術の世界に入ったきっかけ、お二人の出会い、アートリンクとの関わり、アラタニウラノ立ち上げのこと、ギャラリーの作家について、海外のアートフェアへの参加、これからの夢、抱負などを話していただきました。


アートリンクとの関わり

1997年にアートリンクが始まった当時、お二人はともにスカイ・ザ・バスハウスのスタッフでした。荒谷さんは上野の森美術館の窪田研二さんと協力して〈art-Link 上野−谷中〉を立ち上げた創設メンバーの一人であり、とくに、このとき上野の森美術館とバスハウスで開かれた「眠れる森の美術」展は荒谷さんの力なしには実現しなかったでしょう。

荒谷さんはそれ以前に青山で地域のアートイベントの立ち上げに参加した経験があり、大変さを実感していたため、谷中でまた、という話が出たとき初めは躊躇したそうです。「ただ、やってみてわかったのは青山と谷中というのは全然土壌が違っていて、青山は外の人が来て仕事をして帰る町なのでなかなかつながりをつくっていくことが難しいんですね。でも谷中というのは熊井さんにしても、もともとここに住んでいるかたたちで文化的な土壌があるので、青山だと話を持っていっても牽制されて、近づくのが大変なんですけれども、ここだとみんないいよ、いいよってすぐつながっていってくれるのがすごいなというか、つながりができていくのがわかりました」とふり返ります。

一方、浦野さんは荒谷さんがスカイを去ったあと、ギャラリーの忙しい業務のかたわら毎年アートリンクの実行委員として運営に参画。2000年、01年、02年のアートリンクでは大木裕之の映像作品《谷中の恋》を製作・上映し、とくに02年には、日暮里の諏方神社を会場に、《谷中の恋》の上映を中心としたイベント「こもれび*これもび」をプロデュースするという大仕事をやり遂げました。浦野さんがアートリンクの活動をつうじて知り合った大木裕之さんや高嶺格さんは現在アラタニウラノの所属作家としてともに歩んでいます。


ギャラリーの立ち上げ

荒谷さんはスカイを退職後、パブリックアートを手がける会社(株)コトブキ(現在は(株)タウンアート)に勤め、そのかたわら銀座でアートスペースKobo&Tomoを運営。浦野さんは10年間勤めたスカイを2006年に退職。翌2007年に共同でアラタニウラノを新富町にオープンしました。

前々から二人でギャラリーを開きたいという思いはあったそうですが、2006年に旧知の作家、加藤泉さんが翌年のヴェネチア・ビエンナーレに出品することが決まり、同じタイミングでギャラリーをオープンしようと一気に動き出したということです。

自分たちのギャラリーを持つことになった経緯について浦野さんは「嬉しいことに、同じ目線で闘ってくれるんだったら一緒に仕事をしたいと言ってくれる作家さんたちがいながら、長らくお待たせしてしまっていたので、いよいよ覚悟を決めざるを得ない状況でした。あとは勢いですね」と語っています。

また、日本で現代美術のマーケットが成熟してきたのは2000年代に入ってからのことであり、「二人とも現代美術が売れないころからやっていて、現代美術が売れるというのが特殊なことだと思っていたので、そのなかで独立してやっていくというのはそれなりの覚悟が必要だった」そうです。

2007年7月、ギャラリーのこけら落とし、加藤泉展の初日はあいにくどしゃ降りの雨だったのですが、その豪雨のなか、ギャラリーの中も外も人が溢れ、通路はお祝いの花で埋め尽くされ、まさに満員御礼の状態でした。作家の人気だけではなく、荒谷さん浦野さん両名の力強い人脈、人望を見ることのできたエキサイティングな夕べだったのを思い出します。


ギャラリーの仕事とこれから

現在、アラタニウラノは20代から40代まで若手を中心に11名の作家を抱え、ギャラリーで定期的に彼らの作品を発表していくほか、世界各地で開催されるアートフェアに積極的に参加したり、美術館での展覧会やアートイベントに作家たちが呼ばれたときにサポートをしたりと、いつも息をつく暇もない忙しさです。オープンして2年ちょっとですが、あまりにいろいろなことがあり、「5年くらいたったように感じる」(荒谷さん)そうです。

荒谷さん浦野さんに感心するのは、作家との関係が、いわゆる「ビジネス的」なものではなく、作家の考え方や生き方に共鳴して人間丸ごとに向き合っている姿勢です。たとえばこの日のトークでは、西野達の大胆な(無謀な?)プロジェクト案が、荒谷さんのパブリックアートの経験が活かされて実現したエピソード、高嶺格の個展では、高嶺が普及させたいと願う市販の蓄電装置「スーパーキャパシタ」をフィーチャーして、アートの力でその名を知らしめようとしたことなど興味深い話がつぎつぎと紹介されました。コマーシャルギャラリーとして成り立たせながら、このように商業ベースには馴染みにくい作家活動も敢えて紹介していく実験的、チャレンジングな姿勢、また、作家とともに自分もギャラリーも成長していこうという暖かさと度量の広さに共感します。

トークでは、ギャラリーを自分たちの「核」、「拠点」としながら、ギャラリーという枠組みを超えてどんどん外にアートを発信していきたい、という抱負も語られました。そんな二人をこれからも応援していきたいと思います。

(文 坂元 暁美)

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聞き手のひと言

前左:浦野 むつみ 前右:荒谷 智子<br>後左:津布久 静緒 後右:坂元 暁美
前左:浦野 むつみ 前右:荒谷 智子
後左:津布久 静緒 後右:坂元 暁美

11人の作家を抱え、アートフェアに出展のため世界中を飛び回る。アラタニウラノの仕事はとてもハードだ。

しかし、その仕事ぶりはとても軽やかな印象。それはお二人の人柄によるところか。周りの人間を緊張させない穏やかさは魅力的で、多くの人を引きつける。

困難な仕事も作家と真正面から向き合い、その実現のために労力を厭わない姿勢は、確かな信頼に繋がっている。

ギャラリーという枠組みを超え、アートを外に向けて発信していき、社会に働きかけたいと語るお二人が頼もしくさえ感じた。

窪田研二さん同様、お二人も学生時代の専攻は美術ではなかったそうだ。参考までに。