谷中放談

vol.1 アートのお仕事

窪田 研二

窪田 研二(くぼた けんじ)
インディペンデントキュレーター

1965年 東京生まれ。上野の森美術館、水戸芸術館現代美術センター学芸員を経て、現在インディペンデントキュレーター「KENJI KUBOTA ART OFFICE」代表。

「赤坂アートフラワー08」アートディレクター、「六本木クロッシング2010」キュレーターを務める他、多数の展覧会キュレーションに関わる。


聞き手: 野口 玲一(文化庁芸術文化調査官)
2009年9月27日(日) 16:00 〜 18:00 旧平櫛田中邸にて開催

〈art-Link 上野-谷中〉のはじまり

(勤めていた銀行を27歳で辞めて)上野の森で仕事をしながら最初はバイトとして美術の世界にはいったわけです。それでこの美術館は何をしているんだろうと思い始めて。貸し会場にして集客して良かったねっていうのは美術館としてどうなんだろうと。上野というのは日本の美術の中心地と言われていますが、同時代の美術を見る場所はないし、そのような企画もないという現状でした。そこで何か自分でできないかなあと思い始めて、1997年に〈art-Link 上野-谷中〉を立ち上げたんです。同時期にいろいろ谷中が盛り上がってきているという背景があって、何か秋のイベントをしませんかと声がけをしたら、皆さんに共感していただいて。何をしようかと議論しだしたのが1996年の終わりくらいです。

ゆるやかなつながりを大事にしながら、お互いの活動を大事にして、特にテーマなどを設けずにやっていこうという話になりました。


水戸芸術館へ

僕が水戸芸術館に学芸員として入って一番最初の大きい展覧会が2002年におこなった「日常茶飯事−beautiful life?」で、これは日常をモチーフにして制作しているアーティストを10組ほど国内外から集めておこなった展覧会なんです。目的としては今まで水戸芸術館がやってきたような(時代の尖端を行くような)つっぱった企画ではなくて、一般の人の目線で見ておもしろいようなもの、でもプロフェッショナルが見てもいろんな意味が読みとれるもの、そういった二つのレイヤーをつなぎ合わせていく展覧会ができないかと思いました。

2004年の「孤独な惑星」という展覧会は、これも国際的なアーティストを集めたものです。美術のプロパーだけではなくて、一般の人に見せても直感的に感情が揺さぶられるような作品を集めてどうやって一つの展覧会としてまとまったものに見せるかということに挑戦した展覧会でした。90年代にザザというバンドの「ロンリープラネット」という曲があって、その曲の中に「世界を変えられないなら自分を変えるしかない、ただ自分を変えられないのなら世界を変えるしかないんだ」というフレーズがあって、それをアイディアの核としてアーティストを集めた展覧会です。わりとあくの強い表現から、感情をまっすぐ表現したものや想像力をかき立てるようなものまでいろいろなバリエーションを入れています。一つにはその美術館の表現として、どこまできわどいものをみせることができるのかという挑戦もありました。


インディペンデントキュレーターになる

野口:(水戸芸術館の「X-COLOR」展の後)フリーになられて、現在のインディペンデントキュレーターになられたんですね。

窪田:そうですね。もともと一生水戸にいるつもりはなかったし、銀行を辞めたことで仕事を辞め慣れていたというか、なにしろ抵抗がなかったんですよね。水戸芸術館でやっていることも何か違うなあという気もしてきたので。なんとかなるだろうと思っていたんです。

野口:水戸を辞められて、その後すぐ仕事のオファーなどはあったんですか。

窪田:いえ、なかったですね。退職金と失業保険で半年食いつないでいく日々でした。昼は特に何もせずに、夜になるとギャラリーや展覧会のオープニングイベントに顔を出して売り込みをしていたりだとか。そんななかで、あと数日で失業保険が切れるというときに広島からの仕事(広島市現代美術館、「マネー・トーク」展)が入ってきたんです。


インディペンデントキュレーターの仕事

野口:仕事の仕方というのはどうされているんですか。まずすることというのは何でしょうか。

窪田:まずするのは、使える予算や規模など現実的なフレームを作ることと、コンセプトや概念的なフレームを作ることの二つです。その枠組みを同時に進行していくことで仕事に取り組んでいきます。企画をやりたいから予算を集めていくという場合もありますが、それもケースバイケースだと思います。

野口:その仕事を進めていくなかで心がけていることなどはありますか。

窪田:一定してあるのが、一部のアートピープルや美術の専門家だけに理解されて評価を得るための展覧会や企画をするのではなく、一般の人やアートを知ろうとしている人や、何かを得ようとしている人に伝えられる、与えられるものを作り出したいと思っています。それと芸術とはなにかという疑問を常に持ち続けてやっているということですね。


キュレーターの素質、報酬

野口:キュレーターに向いている素質というものはありますか。

窪田:楽天的なことですかね。それもやはりケースバイケースで、みんなで一所懸命必死になって作る力とか。でも冷静に見ることもできないといけない。絶対にあるのは自分に酔っちゃいけないということですかね。常に状況把握もしておかなきゃいけないし、起こるべき問題を先読みしてそれをつぶさなきゃいけないですし。

野口:インディペンデントという名前がついているからといって、完璧に自由というわけでもないですし。立場としてはインディペンデントかもしれないですが、逆に組織に属している方が守られていくこともあるし、本当に難しいですよね。

窪田:そうですね。ただ組織にいるより自由に発言できるというのは大きいですね。組織にいるとその組織の批判はできないですし、やっぱりその点かなり大きいです。フリーになって僕は、美術館の問題だとか、現代美術の日本におかれている状況をコーティングしないで伝えていくということを心がけています。美術館に属するキュレーターだとなかなか言えないことも多いので。そこがフリーですべきことなんじゃないかと思ったりしますね。

野口:お金の話になりますがギャラといいますか、報酬のやりとりはどうなされているのですか。

窪田:基本的に自分からいくらなのか最初の段階で訊いておきます。

野口:世間的にみて、キュレーターの報酬というのはどれくらいなのでしょうか。

窪田:決して高くはないです。文化庁の野口さんがいる前で言うのはなんですが、特に行政の我々に対する対応というのは良いものではないです。キュレーターが一つの仕事にかける仕事量や労力をあまりわかっていないんじゃないのかなと思いますね。行政の仕事というのは将来的にキャリアになったりだとか、業績としてのメリットはあるのですが、経済的な見返りはあまりよくないです。その他のオファーでかなり割のいい仕事はたまにはあったりもしますが、それもかなり珍しいことで、概して報酬は低いですね。個人でやっていく身になると、さらに事務所や運営のこともあるので厳しいことも多いです。キュレーターという分野の人間もですが、アーティストも厳しい状況だと思います。美術館の展覧会に参加してもフィーがたった10万円だとか。運送業の人がその作品を飾るのに日給2万円もらっているというのに。割には全然合わないんじゃないかなあって思いますよね。そもそも独立しているキュレーターの数というのは決して多くないです。

(抜粋・編集 野口 玲一)

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聞き手のひと言


左:窪田 研二 右:野口 玲一

インディペンデントキュレーターという名前のもつ華々しい響きから隔たって、その仕事の現実の厳しさにたじろぐほかなかった。何か目算があって美術館の学芸員を辞め独立したのだと漠然と考えていたのだが、そんなことではなかった。そもそも仕事を辞める勇気がなければ、独立もままならないのだ。

彼の経歴と企画のスタンスが結び付いていることに気づかされたのは収穫だったと思う。インタビューの中で語られていたが、窪田さんは専門的な美術の教育を受けていない。それだけにかえって、美術の外から入ってきた視線がその企画に生かされているのではないか。展覧会の企画に携わる者として、窪田さんのキュレーターとしての着眼点やセンスの良さには羨望を感じていたのだが、その理由についても知ることができた。美術を自明のものと考えるのでなく、その根拠を疑う視線を持っているかということなのだ。